バックグラウンド
第二次世界大戦後の朝鮮半島は、およそ北緯38度線を境に、南は米国を中心とする国際連合軍が、北をソ連主導の共産軍が駐留し、それぞれの思惑で韓国、北朝鮮として政権を樹立させていた。駐留米軍は、殆どを日本まで撤退させていた。
1950年6月25日、北朝鮮軍は、38度線を越え南に侵略、国連決議。勧告を無視してソウルを6月27日に占領。7月には日本占領米軍が韓国に上陸するものの、1950年9月には、韓国軍と少数の米駐留軍は朝鮮半島の釜山近辺の地域まで追いつめられ、国連軍が本格参戦を決定、陸海空軍海兵隊全ての総力を挙げての参戦を開始。1950年9月末には38度線まで進軍ソウルを奪還、10月始め38度線を越え北進、1950年11月までには中国国境付近まで到達し、戦争は終結するかと思えた。
だが国連軍側(米国)の政治的判断が甘く、中国が参戦しており、
1951年1月には再びソウルを占領され、中国に対する米国の政治判断の甘さもあって、戦況は泥沼に。
1951年3月、ソウルを奪回するも38度線付近で戦線は膠着。 1953年7月、休戦協定が結ばれ、38度線での休戦が決定するまでに多くの犠牲を必要とした。
形式上の「義勇軍」として、正規中国陸軍、正規中国空軍に加え、実は1950年から暫くは中国空軍を装った正規ソビエト空軍パイロットの参戦もあった。(1990年代まで史実上は隠蔽された。90年代以前の資料では事実としては語られていないことも多い。)
陸上部隊だけでは、圧倒的な中国「義勇軍」部隊の進撃を止められず、重要視されたのが近接航空支援で、当初はP-51(F-51)や、F-4Uによるナパーム弾や、ロケット弾、初期型クラスター爆弾での攻撃、B-26、果ては近接支援どころか、B-29での都市への戦略爆撃、重要施設への爆撃となる。
対する北朝鮮軍は、当初はYak-3/9などのレシプロ戦闘機、IL-10などのレシプロ攻撃機のみを保有していたが、あっという間に壊滅。
国連軍は、初期のジェット戦闘機、P-80(F-80)やF-84を投入。対戦闘機のみならず、戦闘爆撃機として地上攻撃にも活躍していた。
1950年11月1日には、F-51マスタング4機編隊が6機の後退翼機に襲撃された。MIG-15の登場である。
1950年11月8日、史上初のジェット戦闘機同士の空中戦がおこなわれた。国連軍のF-80を共産軍のMig-15を襲った。機体性能はMig-15が圧倒的に優れていたハズだが、ソビエトのパイロットはジェットでのスキルが低すぎ、F-80の反撃に遭った1機のMIG-15がダイブで逃げたところを、降下速度の大きいF-80が仕留めている。 この後、ソ連側も練度の高い部隊を投入すると共に、中国でのパイロット養成を始めた。本格的にMIG-15の部隊を北朝鮮に投入、国連軍のレシプロ機の被害は拡大するものの、米海軍のF-9Fパンサー戦闘機(直線テーパー翼)や、攻撃機として作戦中のF-84G(こちらも直線テーパー翼)も以外と健闘。パイロット次第では返り討ちとしているものの、やはり運に頼る方が大きかった。
だが、レシプロ戦闘爆撃機や、B-29やB-26爆撃機への被害は増え続け、新型戦闘機F-86Aセイバーの本格的投入が待ち望まれた。1950年12月17日、F-86Aの4機対MIG-15の4機が対決し、Mig-15の1機が撃墜されている。
こういった情勢の元、開戦から終戦近くまでの代表的な空戦をシミュレートしようというのが、このTarget Koreaである。
このTarget Koreaは、開戦当時のレシプロ機同士の戦闘から、F-84Gによる戦闘爆撃、F-86A、F-86E、最新型F-86F30とMIG-15bisによる集団空中戦までをシミュレートする。
今の所の搭乗可能な機体は
国連軍(UN)
F-86A,F-86E,F-86F30,F-84,F9F-3,F-51(P-51),F4U-5/6
共産軍(communists)
MIG-15bis(MIG-15初期型は無し)、Yak-9
次バージョンでの登場予定は
国連軍、B-29,A-26 共産軍 IL-10。
B-29を直衛するF-84Gと上空のF-86Aを襲うMIG-15部隊という史実でも有名なミッションが期待されるが、プレーヤーいないとなぁ・・。
A-26は、実際に大活躍した、鉄道やトンネルなど補給線への攻撃を再現できるだろう。夜間出撃もあるかも。
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