日本に現存するモータリスト・クラブの中でも屈指の歴史を誇る「MGカークラブ・ジャパンセンター(以下「JC」と略)」は、1963年11月に本国MGカークラブの日本支部として生まれた。
その目的は「MGを通じてメンバーの親睦をはかり、関連知識の向上や交通安全の普及、さらにMGをもって広くモータースポーツを楽しむ」とされている。そのカラーはイギリスによく見られる「紳士のソシアル・クラブ」に近いものである、と言えるだろう。
1963年と言えば昭和38年。トヨタで言えばクラウンはようやく2代目になったところで、現在の地位を築く礎になったカローラが登場するまでにはまだ3年もかかる時代である。
その頃日本におけるMGはと言えば、前年秋に新登場したMGBの輸入が開始された頃ではあるもののその価格は145万円。因みに同時期の国産車ホンダS600が50.9万円、初代ファミリア(800)が48.8万円、トヨペット・クラウン(初代・最後期)でさえ119.5万円で購入できた時代の 話である。
そんな時代のMGオーナーであるからには、メンバーの顔ぶれも推して知る べし、である。
一例として会員番号を1からざっと見ると、1が名誉会長であった三井八郎衛門、2が生沢徹、3が現会長西端日出男、4が欠番で5が小林章太郎と今更説明の要もない名前が並ぶ。因みに「世界のミフネ」三船敏郎は会員番号18番に登録されている。
現在の会員番号は120を軽く越え、中にはすでに鬼籍に入られた方や親子2代で会員という方も誕生している。
さて会の設立趣旨にもある通り '60年代にはモータースポーツにも積極的に参加していたMGカークラブだが、1980年10月に軽井沢プリンスホテルで「第1回MG軽井沢ミーティング」を開催した。それまでも5年ごとに「 The MG Day」という名のミーティングが東京で行われていたのだがそれとは別に軽井沢を舞台に開催されたのがこのイベントである。
この軽井沢ミーティングが後に正式に「MG Day」となり、会員以外のMGオーナーの参加も可能なオープン・イベントに発展し、今年で16回を数えるまでになる。
因みに第10回までは軽井沢プリンスホテル駐車場で行われたが、第11回が矢ケ崎公園グラウンド、そして第12回から現在のホテル鹿島の森に会場を移して現在に至っている。
MGデイは基本的に戦前/Tシリーズ/サルーン/A/B/ミジェットの各クラスに別れたコンクール・ドゥ・エレガンスと夜の立食パーティから成る、 年に1度MGオーナーが集うイベントである。以前は駐車場を利用したジムカーナーのようなものも行われたが、現在は前記のスタイルが定着している。
JCはまた、入会規則が厳格である事でも有名である。
基本的には入会希望者は会員2名の推薦を必要とし、毎年年末に行われる総会の出席者の承認をもって正式の会員となることができる。また毎月行われる ミーティング以外に何らかのイベントが会の主催で毎月行われているが、入会希望者には年2回以上の出席が求められる。
これは入会希望者自身で、会の雰囲気が自分の肌に合うかどうかを確認してもらった上で入会してもらうためにはやむを得ない面もあるものの、反面会員が関東近辺に限定される傾向にあることもまた事実である。
それが名古屋、神戸などにMGカークラブを名乗るモータリスト・クラブが誕生する大きな原因とる。
ともあれMGCCジャパンセンターは日本のMGカークラブの長男として今後も日本のMGワールドを引っ張って行く存在であり続けるのは間違いのないところであろう。
「MGカークラブ・ジャパンセンター」
会長 :西端 日出男
ジェネラル・セクレタリィ :平井 直幸
事務局(連絡先):愛知 徹也(Tel.03-5384-1005)
注:文中の敬称は略させていただきました。
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