MGワールドにおいてMGCCと並ぶもう一方の雄、MGオーナーズクラブ(以下「MGOC」と略)は、その会員数からすると驚くほど歴史の浅いクラブである。
MGOCは、MGCCがMGオーナー達の相互親睦を目的として生まれ、比較的古いMGに対する比重が高いのに対して比較的新しいMGを中心とし、より実利的な目的をもって誕生した。
元々オフィス機器のセールスマンであり、MGOCの創立者であり現会長でもあるロッホ・ベントレィ氏は1973年に愛読書である「Exchange & Mart」の読者投稿欄に目を止めた。そこにあったのは自分の所有する古いMGを維持するために必要な交換部品や修理工場などの欠乏に対する嘆きだった。
かくしてMGOCはこれを解消することを目的として誕生する事となった。
投稿氏と同じ事を感じていたMGオーナーがいかに多かったかは、MGOCの会員数がまたたく間にうなぎ登りに増え、会の創立から20年後には全世界合わせて5万人以上という数を数えるようになった事からもそれと知る事ができる。 この数字は世界に数あるプライベートのモータリスト・クラブ(JAFやAAなどの各国のACOを除く)では最大である。
MGOCのマークは赤い丸の中に黒い文字で「MG」及び「オーナーズ・クラブ」の文字を入れた物で、英国のMGの書籍を見るとこのグリル・バッジを目にすることも多い。
MGOCでは会員に対してパーツ/アクセサリーの頒布を行っており、またイギリス国内においては会員が利用する事のできる、工具を備えた工場を数カ所に持っている。会員はそこに自分のMGを持ち込み、そこにある工具を借りて自分の手で直すのである。無論手を付けたはいいが、手に終えない事が判明したり、手に終えないようにしてしまった場合などに備えて、その工場には専門のメカニックも駐在している。その場合には通常の修理依頼のように代金を支払って修理してもらう事になる。
MGOCもMGCC同様に会報を発行している。その名前は「Enjoying MG」と言い、内容はここ<えむじい亭>にも似てツーリングやイベントレポート以外にトラブル・シューティングの方法なども掲載されているので、会員以外の人間にとっても興味深く読む事のできるものである。
当初老舗であるMGCCはMGOCの誕生を心良く思わなかった部分もあるようだが、その会の性格の違いが明確になるに従って両者は平和裏に共存するようになった(実際両クラブに等しく登録しているMGオーナーも少なくないようである)。
特に1979年9月の「暗黒の月曜日」後にはMGOCの発案により、MGCC/MGOC合同の「Save MG」デモが政府庁舎に対して行われた(結局無駄に終わったが)。 MGOCのバイタリティはこのデモ後にも発揮される事になる。BLカーズからMGBの生産治具を譲り受け、外観をブラックメッシュ当時に戻し、ローヴァV8を搭載して販売するという「MGB SEC」計画のプロデュースを行ったのである。これが実施されていたら、MGBは現在ロータス7がたどっている道程をトレースした事になるのか知れないが、実際にはこの計画はわずか数台を試験生産し、アールズコートで行われたヒストリックカー・ショウに出品したのみで、本格的な市販に移されることはなかった。
これ以外にもMGOCはMGCC同様(または合同で)レース・イベントを行ったり、ミーティングを行ったりもしているようである。
なお1979年のMGOCのアニュアル(年鑑)を見ると、当時会で最も年少なのは生後1年半という若い会員で、名前を「Mark Gerard Bentley」(頭文字に注意!)と言う。要するに会長であるRoche Bentley氏の息子である。 げに不運なのはモーター・フリークの家族であろう。
編集部コメント:
日本にも、直接本国MGOC(The MGOC)に加盟している会員も多くいる。
会報の"Enjoying MG"は、充実した内容で、この会報だけでも年会費分の価値はあるだろう。また、会員用のパーツやアクセサリは非常に充実しており、MOSSを凌ぐ面もある。
また、MGA/MGB用5速MTキットや、クラブチューンのリビルトエンジンなど、食指の動くアイテムも多い。
どこかMGのクラブに入りたい、というのであれば、多少の英語交渉能力があれば、ここに加盟するのも一興だろう。日本ブランチでは、マーク・シモンズ氏が代表をしており、また、公認提携クラブのMGOC of Sapporo,Japanがサポートを行っている。
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