B is for BATTLE
< Bは戦いのB >part.2
1964年ワークスMGB最初のイベントは、伝統のモンテカルロ・ラリーだった。
ル・マン用ノーズピースが外され、前後バンパーも装着されて補助ランプがフロントバンパー上に並べられるなど各部に手直しを受けてただ1台参加した7DBLはドナルドとアールのモーレィ兄弟の手に委ねられ、1601/2500ccGTクラスで優勝をもぎ取った。
しかしこのモンテカルロ・ラリーのハイライトはMGBではなかった。「1964年のモンテ」は<the>MINI乗りに取っては忘れることの出来ない、パディ・ホプカークによってクーパーSが初優勝したラリーである。7DBLは再びモーレィ兄弟の手によって5月のスコティッシュ・ラリーに参戦したがクラッシュに見舞われ、戦績を上げることはできなかった。
さて '64年シーズンに向けて新たに3台のワークスMGBが用意され、まずこの年のセブリングではクラス3位を獲得した。
ル・マン用車両BMO541Bはパディ・ホプカークとアンドリュウ・ヘッジスのコンビでドライヴされ、前年同様ル・マン専用にロングノーズ仕様だった。
エンジンは1801ccにボアアップされると共に、圧縮比も10.4:1にアップされ、約125bhp/6000rpm
を発生していた。燃料タンクは20.5ガロン(約93.2リットル)1基が装備され、フュエル・キャップはトランク・リッドを貫通した形で装着された。レース中の燃費は14mpg(約 4.96km/l)だった。
タイヤはダンロップR6、サイズは5.50−16インチ(つまりバイアス!)であった。
BMO541Bの片側フロント・フェンダーは実は別のワークスMGBから持ってきたものであり、良く見ると赤い塗装の下に「スプリンゼル(BMCワークス・ドライバーの一人)/ヘッジス」の名前があるのが分かった。
BMO541Bは大きなトラブルなくレースを走りきった。唯一のメジャー・トラブルと言えば、土曜の夜8時半頃の給油の間、うっかりしてフュエル・キャップを落としたくらいの事である。その結果、キャップの留め具が破損してしまった。とりあえずワイヤで縛り付けたものの、これで2時間半ほどのロスになってしまった。
そうした時、レースに出ていたサンビーム・タイガーがリタイアした。うまい事にタイガーはMGBと同じフュエル・キャップを使っており、急いでそのキャップがMGBに取り付けられた。
サンビーム・チームの監督は誰あろう、1954年から '61年の間BMCコンペティションの面倒を見ていたマーカス・チャンバースだったのである。
このトラブルの結果もあってか、BMO541Bの平均速度は99.945mphと、ほんのわずか「Magic 100mph」に及ばなかった。
ゼッケン37のMGB<BMO541B>は総合順位は19位だったが、「最も好成績を収めた英国車」に送られる「モーター誌賞」を獲得した。
前年同様にル・マンの3週間後のトゥール・ドゥ・フランスにも続けて出場したものの、こちらはリタイアの憂き目にあった。
今回掲載はここまでです。次回連載にご期待下さい
by MG HP「えむじい寄席」席亭Corkey.O
(MGB V8conv. called "Bee-3",Yotsukaido-CHIBA)
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