レシプロ戦闘機の歴史(ver0.9b)
作成途中ですが、暫定公開させて頂きます。
Last Upadate 04/12.98
WWI 複葉機時代 | 複葉機から単葉機へ | 低翼単葉機の時代 | WWIIの戦闘機たち | ジェットの時代
WWIで兵器として発達した戦闘機であるが、1930年頃まで各国の主流は複葉機であった。空力的洗練度を増し、エンジンの出力もWWIでは200馬力級だったものが1930年代には700馬力級に達した。だが、複葉機にいくら密閉式キャノピーや、引き込み脚をつけ、エンジンを大出力化して空力的洗練を計っても、戦闘機としては、全金属製の低翼単葉式の機体の方が遥かに高性能であった。
1935年にはドイツにてBf-109が開発される。この機体は改善され続けながら、終戦まで活躍した。
低翼単葉機の時代、複葉機から単葉機へ。
ポリカコルポフ I-16 1333
I-15と平行して開発されていた、単葉低翼引き込み脚の戦闘機である。登場当時は、先見性で活躍したが、WWII開戦当初もソビエト空軍がこの機体に固執していた為、ドイツ空軍のBf-109などの敵ではなかった。初の防弾鋼板と20mm機銃の採用は特筆すべきことであろう。
三菱 96式艦上戦闘機 1935
かの堀越技師が主査となり、まとめあげた、世界に誇れる格闘機であった。固定脚ながら、沈頭鋲、超ジュラルミン、徹底した空力設計により、最高速451km/h、5000mまで5分54秒という性能を誇った。かのエース坂井氏もお気に入りの機体である。 零式艦上戦闘機登場まで、中国上空で無敵を誇った。
全金属性、低翼単葉、引き込み脚、キャノピーというWWII戦闘機では最も最初に全てを採用した機体。可能な限りコンパクトな機体に強力なエンジンというコンセプトで設計された。決して扱い易いとは言い難い機体であり、トレードマークでもあるトレッドの狭い主脚は(外側に引き込まれる)、高翼面荷重による着陸姿勢と相成って着陸事故を多く誘発した。が、空戦性能的に十分満足できるものであり、特に1,100馬力のダイムラーDB601液冷エンジンを搭載したE型は、WWII戦闘機の傑作と言っていいだろう。このE型がバトル・オブ・ブリテンで活躍した機体である。この後、F型で機体設計のリファインを施し、G型で1475hpのDB-605エンジンを搭載しさらなる高性能化を計った。このG型は109で一番バランスのいい機体とされる。最終型では最高速704km/hと、P-51D並の性能を示したが、流石にFW-190DやTa-152のような精彩さには欠けてしまっていたようである。計33,000機以上生産され、ドイツ第3帝国空軍の主力戦闘機として活躍した。
よく指摘される欠点だが、航続距離が短く、防弾装備が貧弱であった。ドロップタンクの開発も遅れ、英仏海峡を越えて戦うパイロットは苦労したようである。
E型以降、エンジンのクランクシャフトの中心軸に20mm機関砲を通した軸内発射の採用はドイツの優れた機械工作精度ができる技であった。G型など、7000mまで有効なコクピット与圧システムや、キャノピーに防弾ガラスを使用する。またC型のJumo210Gより、DB601/605は全て機械式インジェクションのエンジンであった。
ホーカー ハリケーン HAWKER HURRICANE 1935
Spitfireと共に、英国の空を守った戦闘機として有名である。機体の設計は複葉機の頃のコンセプトを踏襲した、鋼管骨組に羽布張という部分が大半であった。だが、1,000hp級のロールスロイス マーリンエンジンを搭載し、改良されながら終戦まで戦い抜いた。総数12,480機も生産された。一部ソビエトなどにも供給された。 バトル オブ ブリテンでは、撃墜機数はスピットファイヤより多い。高空性能はスピットファイヤに劣り、Bf=Me109相手には苦労を強いられた。ドイツの侵攻前のユーゴスラビアと、カナダでも生産された。
Specification
Span:
40 ft.
Length:
31 ft. 4 in.
Height:
13 ft.
Weight:
7,200 lbs. loaded
Armament:
Eight .303-cal. Browning machine guns
Engine:
Rolls-Royce Merlin XX of 1,260 hp.
PERFORMANCE
Maximum speed:
340 mph.
Cruising speed:
238 mph.
Range:
468 miles with internal fuel only;
1,090 miles with two 90 gal. ferry
スーパーマリン スピットファイア SuperMarine spitfire 1936
WWII通しても傑作戦闘機といわれる、英国の救世主といわれるRAFの戦闘機である。ロールスロイス マーリンエンジンを搭載し、ハリケーンよりも進んだ全金属製モノコックで、基本的に、楕円翼を持つ優美な機体である。WWIIを通して改良続け、Bf-109、Fw-190と渡り合った。後期型(1942-)には高性能グリフォンエンジンが搭載され、エンジンの大型化、高トルク効果に対する機体設計の変更が行われ、MK.20シリーズ以降のSuper Spitfire/ Super Seafireと呼ばれるシリーズに発展した。最高速は730km/hにも達した。朝鮮戦争にも参加し、戦後もインド、香港、カナダなどに暫く配備されていた。
生産総数20,351機(うちグリフォン2,053機)/Seafire総数2,408機
武装も3種類の型があり、主翼も3種類、エンジンもおなじマーリンながら多くの種類があり、基本的に高空型のH.F、低空型のL.F、通常型のF、偵察型のF.R/P.R型等々がある。後期型はマーリンエンジン型/グリフォンエンジン型共、水滴型キャノピーを装備した。
派生型として海軍型Seafireなどもある。また戦闘戦術偵察機としても多数生産/改造された。P.R=(Photo Reconnaissance)と付く機体がそうである。
ヨーロッパ戦線の防空戦でのインターセプターとしては十分と言える航続距離ではあったが、ドイツ本土へ、爆撃機を護衛して侵攻するには不十分な航続距離であり、英国爆撃機隊は夜間爆撃を中心として戦った。ドイツ本土爆撃作戦では、P51やP47に活躍の場を譲ったのであった。
また、アジア南洋での作戦でも空戦能力では、日本戦闘機を凌ぎながらも短い航続距離が足を引いたようである。
SPECIFICATIONS (Mk XI)
Span:
36 ft. 10 in.
Length:
30 ft.
Height:
12 ft. 7 in.
Weight:
8,040 lbs. loaded
Engine:
Rolls-Royce Merlin 61, 63 or 70 of 1,655 hp.
PERFORMANCE (Mk XI)
Maximum speed:
422 mph.
Cruising speed:
369 mph.
Range:
1,360 miles
グラマン F4F ワイルドキャット Graman F4F Wildcat 1937
WWII、太平洋戦線前半、日本軍機、特に零式艦上戦闘機相手に活躍した機体である。空冷星型エンジン搭載の、艦載戦闘機。必ずしも優秀な戦闘機とは言い難かったが、太平洋戦争の初期、日本軍機に対し健闘した。開戦後暫くは、軽戦闘機である零式艦上戦闘機相手に戦術上のまずさから苦戦したが、重戦闘機としての運用を行った時は健闘した。機体の設計上は、大径の空冷エンジンに太い胴体で、優れた設計とは言えない。
もともとは複葉機として開発されていた機体であるが、単葉機として設計され直し、1939年から米海軍に正式採用された。全型式含めて7,314機が生産された。
中島 一式戦闘機 隼 ki-43 1938
第2次世界大戦を通して、日本陸軍航空隊の主力として5,751機も生産された。大戦後期では零式艦上戦闘機同様、性能的に旧式化し、苦戦を強いられた。
零式艦上戦闘機と同様に、97式戦闘機の思想を引き継いだ軽戦闘機としては世界的に優秀な機体であった。蝶型空戦フラップの採用で旋回空戦性能を確保できたようである。
同じエンジンを採用しよく零式戦と比較されるが、重量的に有利なため、旋回性、上昇力では凌いだものの、空力的問題か、最大速度、航続距離で劣っていた。また主翼の構造の問題などで12.7mm機銃2丁までしか武装を強化できなかった。また防弾装備なども遅れていた。水滴型キャノピーを採用するなど、開発当初は優れた設計であり、機体の設計も奇麗であった。
三菱 零式艦上戦闘機 A6M 1939
世界最高?の軽戦闘機、三菱96式艦上戦闘機を設計した堀越技師が主査として開発した、優秀な格闘戦機である。また単発戦闘機としては無類の航続距離を誇った。第2次世界大戦を通して海軍の主力機であった。ZEROまたはZEKEとして世界中で最も有名な日本機である。
格闘戦では無敵を誇り、坂井氏などエースパイロットを輩出した。1000ps級エンジンを極限まで生かすことのできる、徹底した空力的設計がなされ、たわみを利用した操縦系統などや、20mm機関砲の装備なあど登場当時は最優秀の戦闘機であった。この機体が艦上戦闘機であったことは驚きである。各型合わせて10,430機生産された。
大戦後半は、幾度かの改良型の登場にもかかわらず、エンジン性能の高い連合国機に苦戦した。防弾装備の遅れや高空性能の低さなどや、最高速、機体設計に起因する降下速度の低さと高速時の操縦性などで、連合国のみならずドイツ機にも総合的性能では遅れてしまった。20mm機関砲も弾道特性や初速の遅さから思ったような威力は発揮しなかったようだ。
ロッキード P-38 ライトニング Lockeed P-38 Lightning 1939
双胴の悪魔と呼ばれた、双発双胴の重戦闘機である。山本五十六元帥乗機を撃墜した機体であることで有名。高速高々度迎撃戦闘機として採用された。アリソン液冷エンジンと排気タービンで優れた速度と高空性能を発揮した。
武装も機首に20mm機関砲*1、12.7mm機関銃*4の重武装だった。この機体の設計主任であるケリージョンソンは後にF-104やSR-71を生み出した。9,733機生産された。爆撃先導機や夜間戦闘機等も生産された。
ベル P-39 エアコブラ Bell P-39 Aircobra 1939
車で言うところのミッドシップ、機体中央にエンジンを装備して延長軸でプロペラを駆動するという斬新な発想の機体であった。機首に37mm機関砲を装備する重武装であったが、高々度性能や旋回性能、上昇力に優れず、ソビエトに供給されて対地攻撃機として使用された。
P-39、9,558機、発展型のP-63Aキングコブラは2,966機生産された。
フォッケウルフ FW-190 FOCKE-WULF Fw-190 1939
ドイツ空軍をBf-Me109と共に支えた、優秀な戦闘機である。当初はBf109を補佐し、また保険的意味合いで採用された機体であるが、クルト・タンク技師の優れた設計に於いてBf109を凌ぐ性能を持つに至った。
ヨーロッパの戦闘機としては異例の空冷エンジンを採用した機体であったが、1700psの大出力と、余裕のある頑丈な機体は大戦末期までに多くの派生、発展型を生みだし、究極のレシプロ戦闘機と言われるタンク=Ta-152に至った。
オリジナルの空冷エンジンに対し、D型は、高々度性能の改善の為、1,750psのJumo213エンジンを搭載した(約700機生産)。合計19,301機生産。同じ様な出力の空冷エンジンを搭載し太い胴体を採用したアメリカ機と比べると、ドイツ航空技術の高さが伺われる。
MC202 1940
F4U 1940
チャンスボート F4U コルセア アメリカ海軍艦載戦闘機
アメリカ海軍主力戦闘機として、F4Fの後継として重要視されていた高性能戦闘機。のハズだったが、開発と配備に手間取り、保健的意味あいのあったF6Fの方が、先に配備されて太平洋戦線で活躍していた。F6Fと基本的に同じエンジンを使ってはいるが、胴体を極力細くした設計とし、空力的に洗練された機体である。特徴は直径4mを越えるプロペラと、主脚を短くする為のガルウイングであるが、空母艦載機として使用するに当たって、下方視界の悪さによより、配備が遅れた。
但し、F6Fが大戦後すぐに現役からはずれたのに対し、F4Uは朝鮮戦争にも戦闘爆撃機として参加するなど長い間現役だった。フランス海軍にも供給されていた。
Yak-1 1940
P-47 1941
リパブリック P47 サンダーボルト 1941 アメリカ空軍、陸軍等
長距離高速護衛戦闘機として開発された重戦闘機。戦闘機としては必ずしも成功作とは言えないだろう。排気タービン装備等、単座単胴戦闘機としてはかなり重く大きな機体となり、西部戦線の格闘空戦能力的には少々厳しい物があったようだが、この機体によるアメリカのエースパイロットも多数存在する。
この機体の登場により、アメリカ空軍によるB-17の、ドイツへの昼間爆撃の戦闘機隊による援護が可能になった。
戦闘爆撃機として、地上攻撃にも活躍したようだ。
Yak-9 1941
ki-61 川崎 三式戦闘機「飛燕」 1941
ドイツ ダイムラーベンツ製 DB601A液冷エンジンを、ライセンス生産した「アツタ」発動機を搭載した、日本では珍しい航空機。エンジンの量産がうまくいかず、エンジン無しの機体が余ってしまい、それに空冷エンジンを搭載したのが五式戦闘機である。
メッサーBf-109のコピーであると言われたが、空戦性能、航続距離等、Bfより優れており(エンジン完調な場合)、まったく独自の設計である。現地でのエンジンの整備もうまくいかず、稼働率は低かった。 後に、空冷エンジンに換えた5式戦がデビュー、優秀な戦闘機として評判がよかった。
2000馬力級のダブルワスプ星型空冷エンジンを搭載した、重艦載戦闘機。
悪く言えばこれと言って取り柄の無い機体だが、経験の浅いパイロットでも扱いやすく、パワー的にも十分で、信頼性も高かったようだ。機体はずんぐりとしており、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし、本機体の太平洋戦争での貢献は大きい。
日本海軍の零式艦上戦闘機には、運動性能上F4Fでは分が悪かったが、防弾装備、エンジンパワーの充実したこの機体では同数で格闘戦に入らない限り優位を保てた。日本軍機対F6F被撃墜では、19対1だそうだ。日本機の12.7mmや7.7mm機銃では、炎上させるのが難しかったようだ。対しての日本機は防弾装備が無く、簡単に炎上した。
機体の強度は十分過ぎる程で、急降下により日本機を振り切ることができた。十分な爆弾、魚雷、ロケット弾の搭載能力を持ち、大戦末期は日本本土へ、銃撃、爆撃も行った。レーダー装備の夜間戦闘機型もある。
もっとも、本来であればF4Uコルセアが運用されるまでの「つなぎ」的意味合いを持って採用された機体だが、F4Uの艦載戦闘機としての運用が確立されるまでに????機も生産され、英国海軍にも供給された。しかしF4Uが大戦終了後も現役を保ったのに対し、F6Fは早急に退役していった。
後継機のF8Fベアキャットは、この機体の反省点を生かし、大出力エンジンに、できる限りコンパクトな機体というコンセプトである。(Me-Bf109もこのコンセプトである)
Yak-3 1942
一式戦闘機「隼」や、零式艦上戦闘機は、格闘戦での旋回能力等では世界1流の機体であったが、速度、上昇力、防弾装備など、連合国の機体に比べ見劣りし、また「隼」は構造上、装備できる機銃に不満があった。
最高速度600km/h以上、防弾タンク等を装備し、機銃は20mm×2 12.7mm×2を装備した高速戦闘機であった。アメリカ軍のレポートでは 最高の日本軍機と評価されている。日本での機体、エンジンの量産工程や運用時の整備,電気式可変プロペラがうまくいかず、本来の威力を発揮できなかった。
N1K2-J 局地戦闘機「紫電改」 1944 川西
陸上にて運用のインターセプター(局地戦闘機)の雷電に続く物ととして、水上戦闘機「強風」NIKの陸上型「紫電」は、性能的に期待さていた物の、様々なトラブルを抱えていたため、設計を見直した物が、この紫電改である。
特徴としては、水銀柱による電気接点利用の自動空戦フラップ、20mm機銃4丁の重武装、2000馬力級エンジンの搭載である。防弾性能も零式艦戦とは格段の差であった。
海軍に大きく期待されていた機体ではあるが、工場の爆撃などにより400機の生産に留まり、実戦部隊も少なかった。
Ta-152 フォッケウルフ 1944 クルト・タンク
FW-190の発展型、液冷FW-190Dをさらに発展させた、高高度高速戦闘機。FW-190Dに比べるとロングスパン化された主翼、延長された胴体など、大きな改修がされている。レシプロ戦闘機としては、究極と言ってもいいだろう。
残念ながら登場した時期的にさほど活躍できず、わずか60機ほど生産された。実戦配備された機体は、Me262の離着陸時の援護に使用されていたようだ。
FW-190Dに搭載されていたJumoエンジンから、ダイムラー製 DB605の発展型へと換装されている。Bf109の後期型のうち、最高性能を誇った迎撃型 Kシリーズと同じエンジンを積むこととなったのは面白い。
P51を代表するD型は、イギリスのロールスロイス マーリンエンジン(のライセンス生産品)を得て、最高速度700KM/h弱、増槽搭載時は7時間に及ぶ航続距離(1000マイル以上)で、長距離護衛戦闘機として活躍した。このD型は、涙滴型のキャノピーを持ち、コンパクトで優れた機体設計と相成って、レシプロ戦闘機の一つの完成型といえるだろう。朝鮮戦争でも活躍し、民間のエアレース等ではいまでも現役である。延べ1万4千機を越えて生産された。
日本ではB-29を護衛して飛来、国産戦闘機の届かない高度まで上昇でき、速度も圧倒的に有利であった。(注:疾風等の国産機を、アメリカで整備し実験したところ、決して性能的に劣る物ではなかった)
ドイツ戦線では、B-17の昼間爆撃の護衛に活躍した。旋回性能では、Bf109やFw190に劣ったようであるが、速度、上昇力等で勝り、なにより圧倒的な数で優位に立った。
P51ならMe262を撃墜できたようだ(運とパイロット次第で)。
He163
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