レシプロ戦闘機の歴史(ver0.9b)
作成途中ですが、暫定公開させて頂きます。画像は、一部探索中です。
Last Upadate 04/12.98
WWI 複葉機時代 | 複葉機から単葉機へ | 低翼単葉機の時代 | WWIIの戦闘機たち | ジェットの時代
WWI
複翼機のころは、まだのどかな時代だったらしい。最初の頃は、固定式機銃が 装備されていなかった。その後プロペラとの同調装置の進歩で、胴体に機銃が装備され、格段に命中率が向上した。火力の集中、軸線という意味でも胴体装備が望ましい。 大戦中にセミモノコックボディーも採用となり、最高速度は200km/hを超え、ユンカース D.1では全金属(ジュラルミン)製の機体も登場する。
機体の塗装は、各エースなら自分の気にいる塗装を施し、迷彩効果など全く考慮されていなかったことが多い。リヒトフォーヘンなどはFokker Dr.1などを真紅に塗装し、レッドバロンと呼ばれたくらいである。幾何学模様により、敵パイロットに錯覚を起こさせるよう塗装されたものもあった。
Fokker E.I-E.IV 1915
WWIで最初の名機と言えるだろう。機銃プロペラ同調装置を世界で始めて導入し、機動性を考慮した単葉機。 インメルマン中尉の乗機で有名。各型合計で450機生産。 単葉であるが、まだ、ワイヤーを張り巡らして支持している張線式である。空冷星形エンジン搭載。胴体は鋼管フレームに張線を張って強度を稼いだ箱型断面である。
アルバトロス D.I-D.V 1916
全木製のセミモノコック構造のボディーをもつ、奇麗な複葉機(2葉)であった。7.92mm機銃を2丁装備し、連合軍に対しての優位を狙った機体である。リヒトフォーヘンも搭乗している。水冷L6エンジン搭載。
Fokker Dr.1 1917
Sopwith Triplaneの影響を受け、Fokkerのプラッツ技師が設計した三葉機。 少々癖のある機体であるが、リヒトフォーヘン、フォスを始め、エースパイロットに愛用された。300機程度生産
翼の支持は張線式ではない。未完成な設計ながら、そこそこ優れた機体であり、3葉の特徴を生かした上昇力と旋回性能に優れた。ある程度の腕がないと乗りこなせなかったのだろう。空冷星形エンジン搭載
Fokker Dr.VII 1917
ドイツ最良の戦闘機といわれた。Dr.1と同じプラッツ技師の設計。Dr.1と比べて扱い易い機体であった。液冷エンジン搭載。1000機以上生産
デ・ハビランド D.H.2 1915
プロペラ同調装置が導入される前に制作されていた、推進式戦闘機である。コクピットの後ろにエンジンとプロペラを設け、プロペラをはさんで両側にフレームだけの胴体 を延長して尾翼を設けてある。Fokker Eシリーズを圧倒したが、アルバトロスの登場で、第一線から駆逐されてしまった。空冷星形エンジン搭載。機銃は7.7mm1丁。
Sopwith Camel 1916
WW.Iで、最も活躍した戦闘機と言っていいだろう。コンパクトなボディに大きな空冷星形エンジンを搭載したこの機はトルク効果の影響が大きくパイロット殺しの異名をもらったらしいが、逆にトルク効果を利用した旋回空戦性能はどのドイツ機をも凌ぐものであった。ドイツ機撃墜数 NO.1。総生産数、5,490機。
Fokker Dr.1のリヒトフォーヘンを撃墜したのもこのCamelであった。
R.A.F S.E.5 1916
Sopwith Camelと共にWW.1を代表する英国機。空冷エンジンのCamelに対して液冷エンジンを搭載するなど、重量増、翼面荷重が大きく旋回性では劣ったが、速度、なにより扱いやすさから、5,205機も生産された。
スパッド XIII 1917
大戦後期のフランスを代表する戦闘機。イスパノスイザ製の液冷エンジンを搭載し、最高速度220Km/hを誇った。単座単発戦闘機中で最速であった。連合国各国で使用され、生産数8,472機を誇る。
ユンカース D.1 1918
世界初の全金属製単葉戦闘機であったが、時期的に遅すぎ、活躍せずに終わった。 航空史上は記念すべき機体である。
WWIで兵器として発達した戦闘機であるが、1930年頃まで各国の主流は複葉機であった。空力的洗練度を増し、エンジンの出力もWWIでは200馬力級だったものが1930年代には700馬力級に達した。だが、複葉機にいくら密閉式キャノピーや、引き込み脚をつけ、エンジンを大出力化して空力的洗練を計っても、戦闘機としては、全金属製の低翼単葉式の機体の方が遥かに高性能であった。
1935年にはドイツにてBf-109が開発される。この機体は改善され続けながら、終戦まで活躍した。
最後の複葉機達
ポリカルポフ I-15/I-153 1933
革命で混乱していたソビエトがようやく性能的に各国に追い付いた機体。空力的に洗練され、I-153型では引き込み脚を採用してアメリカのライトサイクロンエンジンをノックダウンした空冷星形750hpのエンジンで、430km/hの複葉機で世界最速を誇った。WWII開始時点では現役機であった。
グロスターグラディエーター 1934
英国は単葉機の実戦配備が遅れ、この機体が各部隊に配備された1937年には各国の主戦力は単葉機に移っていた。スライド式キャノピーを備え、830hpを誇る空冷星形エンジンを搭載、最高速度400Km/hを超えた。Spitfireとハリケーン戦闘機が配備されるまでの主力であった。
フィアット CR.42 ファルコ 1939
イタリア最後の複葉戦闘機。同設計者のCR.32(1933)と同じく、上翼より下翼が極端に小さく、優れた性能の機体であったが、ハリケーンなどの低翼単葉機の敵ではなかったが、1942年まで、計1,781機も生産された。バトル オブ ブリテンの頃、イギリス本土を攻撃し、ハリケーン戦闘機の餌食になったそうだ。地中海方面でも連合国軍機の敵ではなかった。
零式水上観測機 1936
全金属製(翼も金属)の水上機である。世界的にみても優秀な水上機であった。本来の目的である艦隊決戦の弾着観測が航空機による空母決戦となってしまったため、水上偵察機として使われた。
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